京都大学2021年 第1問全訳

京都大学2021年

第1問全訳

(第1段落)

物語を語ることは有史以来、人間特有の活動である。我々は物語を本能として生まれた物語を語る動物と言ってもよいかもしれない。朝に出勤すると同僚に会って前夜に起こったことを話し、夜に帰宅すると家族に会って日中起きたことを話す。我々は物語を語ることが大好きで、聴くことも大好きだ。物語はいたるところにある。ニュース、噂話、夢、空想、報告、告白などなど。

(第2段落)

特に我々はかなりの時間をかけて、小説、漫画、映画、テレビの連続物などあらゆる種類のフィクションを読んだり見たりしている。確かにフィクションが我々にとって有益かどうかを考えるのはある程度役に立つだろう。実際、これは古代の哲学者に遡る長い歴史をもった問題である。プラトンは自分の理想郷から詩人を追い出したことは有名な話であり、それは彼が詩人の創作物が結局は真実でないと考えたからである。最も端的に表現すると、彼は詩を嘘だと見なした。フィクションとして提供されたものはそれ自体を正当化できないと信じたのである。彼の最も優れた弟子であるアリストテレスの考えは違った。アリストテレスの理論の趣旨はこう言われている。歴史は特定のものを表現し、具体的で細かい事実を発生と同時に焦点を当てるが、詩は普遍的なものに光りを照らし、偶然が介入することを許さない。したがって詩は正当化されるのである。

(第3段落)

その論争は現在まで続いており、心理学者はこの昔からある問題に対処する新しい方法を示してきた。様々な実験から、フィクションは我々を変える力を持っていることが明らかになっている。伝えられるところによると、「我々がノンフィクションを読むとき、自らを防衛しながら読む。批判的で懐疑的になっている。しかし、物語に集中しているときには知的な防衛を外す。気持ちを揺さぶられ、このため我々はゴムのように柔軟になって変形しやすくなる。」こう言うとかなり単純に聞こえるかもしれないが、重要なことは、研究者が我々に、フィクションを読むと共感(感情移入)が養われることである。読者がフィクションの世界に浸かっていると、物語の登場人物の立場に自分の身を置き、この活動を繰り返すことで他人を理解する能力が高まる。そこで、現実世界における対人感受性(人付き合いにおける思いやり)を養うことでフィクション、特に文学作品は我々を良い方向に変える可能性がある。

(第4段落)

これは厳密には真新しいものではないが、フィクションの重要性を科学的に支持することは確かに慰めになる。それにもかかわらず、慎重に区別することがここでは適切である。確かにフィクションは実際に周りの人々をよりよく理解して行動させるかもしれない。しかし、共感が必ずしも社会的利益を導くとは限らない。この話題に関する最近の記事はこう指摘する。「我々がこれまで会ってきた人の中で最も共感できる人は、営業マンや弁護士だ。彼らは一瞬で他人の気持ちを把握し、それに基づいて行動し、取引の成功や勝訴を勝ち取ることができる。その結果、相手方は苦悩や敗北に打ちひしがれたりすることが十分考えられる。逆に、我々の知っている人の中には、本好きかつ内向的で、他人を理解するのが苦手な人、または得意であっても他人について把握したことに基づいて行動する能力を欠いている人が必ずいる。(ここで言う本好きの人というのは、フィクションの熱心な読者である。)共感的理解と同情的行動は別の問題であり、フィクションを読むことと関連してその二つがどのように異なるか、そしてなぜそうなのかが、将来の研究によってさらに探究されることを望んでいる。

 

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