第3回

2000年9月5日(火)

今日の午前9時半から最初の授業が始まる。場所はCAS(College of Arts and Sciences)のLX520教室らしい。方向音痴の僕は大学の地図を片手に右往左往しながらその教室を目指す。まったく初めての留学で初めての授業に緊張する。

部屋に入っていくと人はまだ数人しかいなかった。classmateは全部で何人いるのだろう。机と椅子の数を数えると24しかない。びくびくしていても仕方がない。ちょうど真ん中あたりの席にすわることにした。しばらくするとどんどんclassmateが入ってきた。このクラスは結局男が僕を含めて3人、女性が18人という構成だ。

始業時間を少し遅れて、大柄でやや太ったO’conor准教授が入ってきた。彼女がCalifornia BerkleyからStanfordに進んだことはBUのpamphletで知っていた。

まず授業の冒頭で自己紹介することになり、順番に名前、出身国を述べた。なぜか中国人が多い。本名はまったく聞き取れないから、面白いことにJuliet, Lilyなどのnicknameをみんな持っていた。韓国人は3人いるが、そのうちの一人は完璧なAmerican Englishを話した。韓国籍でもどうせnativeだろうとそのときは思った。しかも可愛い。僕は早く友達になりたくなった。3人いる男の1人は地元USA出身でGreg、もう1人はSaudi Arabia出身のMohammad。Reed准教授のofficeで偶然会ったStephanieもUSA出身、優しい綺麗な声で落ち着いて話す。classmateの一人はdeafらしく、手話通訳の人がつきっきりでみんなの話す内容を手話で伝えていた。

O’conor准教授はゆっくり明確に話すので、聞き取れないことはない。しかし、僕にとっては内容が問題だった。日本で言語学の基礎でも学んでいたら少しは理解できるはずなのに、彼女の口から出てくる著名な言語学者の名前Saussure, Chomsky, Hymes, Labovすら初めて聞くのだからどうしようもない。ただ、日本と違ってここでは教師が一方的に話すことはありえず、常に学生の反応を伺い、「質問はあるか」「コメントはあるか」と尋ねる。つまりinteractive(双方向性)が重んじられていた。

よく分からないまま最初の授業が終わろうとしたところ、O’conor准教授がassignmentを出した。配られた論文のコピーを読んで自分が疑問に思うことを3つ書いて、次回の授業の前に提出すること。しかもこのassignmentはずっと続く。みんな嫌がっている空気が流れた。勉強好きが集まっているはずでも宿題は嫌なんだろう。今回の論文のタイトルは次の通り。
Dell Hymes ”Communicative competence” “Ethnography of Communication”

John Gumperz “Contextualization cues” “Interaction of sociolinguistics”

William Labov “Variational Sociolinguistics” “Observer’s paradox”

ペラペラめくった僕の感想は、「これは日本語で読んでも理解できない」というものだった。授業が終わるとすぐ、例の完璧な英語を話す韓国人classmateが笑顔で話しかけてきてくれた。しかも流暢な日本語で。僕は彼女を勝手に「運命の人」だと直感した。

「初めまして。私、・・・といいます。」

彼女の名前は全く聞き取れなかった。彼女はそれに気付いて、

「Keiと読んで下さい。」

と言った。

僕は名前をノートに書いてもらった。Kyung-Hye Nahという名前らしい。

「僕はHiroyukiなので、Hiroと呼んで。」

「Yamamotoさんですね。私、覚えました。」

「ところで、どうしてそんなに日本語が上手なの。日本人と変わらないよ。」

「私、大阪で生まれました。私が3歳の時にチェジュ島に引っ越したんです。」

「チェジュ島? ああ、済州島のことだね。」

「はい、済州島です。」

「でも、3歳しかいなくてそんなに話せるのかなあ?」

「子供の頃は日本語を話していたらしいんですけど、両親はその後ずっと韓国語を話していたので、すっかり忘れました。でも、日本の大学に来てから勉強し直したんです。」

「どこの大学?」

「Sophiaです。」

「上智か。留学生が多いよね。」

「はい。」

「でも凄いなあ。それでそんなにしゃべるなんて。英語はどうしたの? みんなきっとnativeだと思ってるよ。」

「でも、私、文法は苦手だし、vocabularyもないし。高校時代に1年間Seattleに留学しました。」

「たったそれだけで? ありえないなあ。」

僕はびっくりした。

「今日の授業は分かった?」

「はい、分かりました。韓国の大学で言語学を少し勉強しましたから。」

「あのう、敬語で話さなくてもいいよ。」

「いいえ、韓国では1日早く生まれた人に対しても敬語で話しますから、やっぱりYamamotoにも敬語を使わないと。」

僕は笑った。冗談だと思ったから。

「韓国で? そんなことないよね。」

「いいえ、本当なんですよ。」

Keiとそんな会話を交わしていると、帰り支度を終えたGregが話しに割り込んできた。またまた予想外にも、日本語で。

「すいません、ちょっと聞きたいことがあるんですが。」

ボストンではみんな日本語を話すのか。そんなはずはない。

Gregは日本で英語を教えた経験があり、現在ボストンの語学学校でも英語を教えているという。日頃から日本人の英語について疑問に思っていることがあり、これを機会に日本人である僕にどうしても尋ねたかったらしい。それは、日本人だけよくI could meet a lot of people in New York.などというがどうしてか、という内容だった。could meet なんてnativeはもちろん他の外国人からも聞いたことがないらしい。当然、I met a lot of people.が正しいのに。

最初、僕にも分からなかった。一つ思いついたのは、たくさんの人と出会えたことが嬉しくて、couldという言葉が自然に出たのではないかということだった。しかし、それをGregに伝えても、全く納得しない素振りだった。僕は頭をフル回転させて考えた。Keiも考えている様子。

しばらく考えると、「これだ」という答えが見つかった。僕は、

「あ、そうか。分かった。direct translationだよ。日本人は『たくさんの人に会えた』というから、それを直訳したんだよ。」

と言うと、Gregも完全に納得した。すると、

「Thank you, Hiro. See you.」

と言って教室を出て行った。

Keiは尊敬の眼差しで僕を見てくれた、というのは思い過ごしか。

「これから食事に行きませんか。」

と誘ってきた。もちろん、Okay。

「私の知っている店に行きましょう」

と言ってメキシコ料理店に連れて行ってくれた。

その途中で、僕はまだ教科書も買っていないことを話すと、Keiは呆れた様子でいろいろ質問してくれた。僕がまだIDカードも作成していないこと、学生が自由に使えるITというPC roomがあるのを知らないこと、そこで学生用のmail addressも取得していないこと、学生保険について何もしらないこと、Tという名の路面電車のcardも購入していないことなどを知ると、

「私に任せて下さい。」

と今日は僕につきっきりでお世話をすることを約束してくれた。僕は救世主が現れたとしか思えなかった。僕のあまりの頼りなさ、いい加減さがKeiの母性本能に火を点けたのだろうか。

「実は、まだ住む所が決まっていないんだ。」

と言ってもKeiならすぐにどこかを紹介してくれそうに感じたが、それはちょっと甘すぎた。

「今どちらにいるんですか。」

「Quincyという所。」

「分かりました。知り合いに当たってみますね。」

Keiと歩いていると、普段よりもたくさんの視線を浴びせられる気がする。彼女のように美しく生まれてくるということは、そのような視線に晒されるという重荷を背負うということなのか。僕はくだらない質問をしてしまった。

「Keiは学生時代、Miss Sophiaだったんじゃないの?」

「いえいえ。そんなことには全然興味ありません。それに私の顔ってどこにでも転がっているような顔ですもん。」

Keiの自己評価が本心かどうか僕には分からない。

昼食の後、約束通り、Keiはずっと僕に付き合って次々に実行してくれた。

Keiが友人との約束がありGeorge Sherman Unionへ行くというので、その前で別れた。

「今日は本当にありがとう。このお返しはいつかするよ。」

「楽しみにしています。それじゃまた、次の授業で会いましょう。あさってですね。」

安堵とともに疲れがどっと出た。実はKeiといる間、無意識に少し緊張していたのだろう。

僕は4時から7時までSLAつまりSecond Language Acquisitionの最初の授業がある。僕のadvisorの一人Reed准教授の授業だ。教室は教育学部(School of Education)のLS658教室だ。僕は教室の一番後ろの席に座った。このclassもほとんどが女性だった。この授業では学生たちに積極的にpresentationをしてもらうという。僕が一番恐れているものだ。groupでする場合と個人でする場合があり、成績はその出来次第。

この授業も難解だった。僕はこんな難しいことを勉強するために留学を決意したわけではない。語学留学でもいいと思っていたが、自分でいろいろ調べたり、Internetで知り合った留学経験者の話によると、どうせ留学するならいわゆる語学留学よりも学位を取得するような留学の方が望ましいとのことだった。そこで、書店でみつけたアルクの「大学院留学」という本でこのprogramを知って興味を持ったにすぎない。ただ、このprogramを受ける最低条件として、僕たち留学生の場合、TOEFL600が必要だった。TOEICのscoreは930だったが、僕はTOEFLが苦手でなかなか600をとることができなかった。3回目のchallengeでようやくぎりぎり600を取得して入学を許可された。

授業が終わった後、最前列に座っていた日本人女性が僕に話しかけてきた。彼女は去年、慶応大学を卒業したばかりで、僕と同じprogramをこの春から始めていた。BUのTESOLというprogramは最短では9ヶ月で修了することができるが、彼女はもう少しゆっくり終えたいということだ。彼女の名前も偶然僕と付き合っていた女性と同じAkikoだった。

帰ってassignmentを始めなければ。Tと電車を乗り継いで、10分くらい歩く。買物をして帰りたいが、疲れてその気になれなかった。部屋にあるもので夕食を済ませることにした。

今日、授業中にとったノートを見ても意味不明だった。買ったばかりのSociolinguisticsのtextbookを最初の数ページだけ読んでみる。辞書を引かなくても何となく理解できる。すぐに眠くなった。椅子からベッドへ移動して横になっていると、いつの間にか眠ってしまった。

「山本さん」

Boston Quincy Houseの経営者である間瀬さんの声で目が覚めた。僕に電話がかかってきたらしい。Taichi不動産のMomokoにちがいない。

「こんばんは、Yamamotoさん、Keiです。」

僕はびっくりした。ありえない。

「どうして?どうして僕がここにいると分かったの?」

「私、Internetで一生懸命調べました。Quincyにいるとおっしゃったので、それを手掛かりにしました。」

「それだけで分かったの?信じられない。」

Keiは僕と出会うためにBostonに来たのだろうか。運命?こういう女性に出会ったのは初めてだ。

「明日、一緒に勉強しませんか。assignmentの論文を読んでもよく分からないんです。」

「僕はまだ全然読んでいないよ。」

「そうなんですか・・・。でも明日、大学で待ってます。えーと、George Sherman Unionの入口で。」

「いいよ。僕は何時でも構わないよ。明日は授業がないから。」

「それじゃ、10時でお願いします。」

「わざわざありがとう。」

もっと他に言うべきセリフがあるだろう。しかし、胸が熱くなって何も思いつかない。

「あ、それから、言い忘れていたことがあります。School of Managementの図書館が充実していることをご存じですか。」

「いや、全然。」

「あそこはいいですよ。Starbucksも入っているし、自分のPCを持っていけばInternetが使い放題です。ITほど混んでいませんし。」

「あーそうなの。いろいろありがとう。」

「いいえ。それでは、おやすみなさい。」

「おやすみなさい。」

Keiにはずっとleadされっぱなしだ。いつか逆転する時が来るのだろうか。

Sociolinguisticsの授業で配布された論文を少しでも読まなければと、電子辞書を片手に読み始めた。シャープペンシルを使って知らない単語を丸で囲む。やはりすぐに眠くなった。駄目だ。明日早起きして読もうと心に誓って寝ることにした。

僕の有意義な1日が終わった。

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