小説In Boston連載第1回
2000年8月31日(木)
いつもと空気が違う、ホテルの一室。眼覚めは良くも悪くもない。昨夜は不安と希望が大喧嘩した結果、不安が圧勝したため、初めての地でなかなか寝つけなかった。
深夜、ローガン空港からタクシーでこのザ・コロネード・ホテルに着いた。しばらく休憩した後、僕はシャワーを浴びて、椅子に腰掛け、本を読もうとしたが・・・内容が全く頭に入らない。英語教材のCDを聴こうか。何を今さら、往生際が悪いぞ。もう僕はボストンに来てしまった。今からリスニングを鍛えようとしても手遅れだろう。何も考えずにスイッチを入れたノートパソコンの蓋もすぐに閉じ、ベッドに倒れ込んだ。
亜希子は今どうしているだろう。最後のキスの感覚を想い出す。最初に言葉を交わした場面から握手をして別れた最後の一瞬まで、亜希子との思い出が映像と音声となって次々に浮かんでは消えた。それらを振り払い、明日すべきことを再確認する。
いつしか浅い眠りに落ち、野球の夢を見た。子供の頃からよく野球の夢を見る。観戦しているつもりがいつの間にか一塁を守っている。遊撃手からの送球を僕が逸らした。慌ててボールを拾って三塁に投げる。矢のような速球でランナーをアウトにしたところで眼覚めた。ここボストンで野球と言えば、野茂秀雄。いつかフェンウェイ・パークへ応援しに行こう。
朝食をホテル内でとる経済的余裕はない。街に出た。夏のボストン、朝は早い。既に活気が満ち溢れている。どこに行っても空気が新鮮だ。見知らぬ街で知り合いもいない自分は他の人からどう見られているのか。多分みんな僕のことに関心をもつ暇がないだろう。あてもなく彷徨ってプルデンシャル・センター内に軽食を出す店を見つけ、普段は飲まないコーラとサンドイッチを注文した。
愛用のボールペンを持って真新しいノートに今日の予定を書き込む。まず、これから通うボストン大学(通称BU)へ行って、入学手続と部屋探し。住む場所を決めないで渡米したが、大学から送られてきたパンフレットでは大学院生用の寮が用意されているとのことだったので心配はしていない。でもいつから住めるのか。快適なのか。家賃は学生用に安く設定されているようだが、うるさくて寝られないようでは困る。
おもむろに亜希子からのメールをprint-outしたものを取り出し、再び読んだ。
「山本君、お元気ですか。いよいよ留学だね。私は空港へ見送りに行けないけれど、あなたがこれから夢に向かって進んでいくのをずっと応援しています。この前、あなたから突然『結婚しよう』と言われたときは本当にびっくりして失礼なことを言ったかもしれない。ごめんなさい。私はずっと独身でいようと思ってきたけど、先のことは分からないね。あなたが日本に帰って来たら、また会いましょう。勉強、がんばってください。亜希子」
次にadvisorとなるReed准教授 からのメール。
「Hiroyuki、大学に着いたらすぐ私の部屋に来て。いろいろ話したいことがあるの。会うのを楽しみにしてるわ。Marnie Reed」
Reed准教授はpamphlet の写真を見た感じでは鶏を連想させるおばさんだ。かつて日本にいてSony創業者の一人盛田氏に英語を教えた経験があるらしい。もう一人のadvisorであるSteven Molinsky教授は、「Word by Word」や「Side by Side」のシリーズで世界的に知られる英語教授法の第一人者だ。忙しいらしく、教授からはメールをもらったことがない。写真からは禿げ頭のせいか横山ノック氏を連想させる。
大学まではTと呼ばれる路面電車に乗った。乗車料金は$1。guide book「地球の歩き方」 によるとtokenというcoinを駅で買う必要がある。路面電車といってもThe Colonnade Hotel の近くではTは地下に潜っている。東西に走る路線はKenmoreという駅で地上に出て、路面を走る。真っ直ぐ伸びたCommonwealth Avenueを進む。しばらく行くと赤煉瓦の建物が見えてくる。Boston Universityのschool colorは赤だ。今日は天気がいいので青空によく映える。校舎の向こうにはCharles River。その川の向こう側のCambridgeには Harvardや MITがある。Bostonに住む人の平均年齢は若い。学生が多いので当然だが、この国の中では歴史的に古いということと対照的だ。
BU Westという駅で降りて歩くことにした。大学から送られてきた地図を頼りにキョロキョロしていると、学生らしき男が、
「どこへ行くの」
と尋ねてきた。
僕は、まずReed准教授を訪ねてみようと思っていたが、それより住む所を確保するのが先決だと考え直していた。いつまでもhotel暮らしをしているわけにはいかないからだ。The Colonnade Hotelには1泊の素泊まりで$132.26支払った。
「これからここの学生になるんで、住む所を探してる。だから斡旋してくれる大学内の事務所に行きたいんだ。」
と言うと、その男は、僕の地図を指さし、
「ここを真っ直ぐ行くと、この建物がある。Housing, Residence Lifeと書いてあるよ。」
「分かった。大学院生用の寮に入りたいんだけど、まだ入れるかな。」
と尋ねると、
「無理だね。今年の新入生は大変だよ。住宅不足で、テントに住んでる奴もいるよ。」
僕は笑った。冗談だと思ったからだ。でもその学生は真面目な顔つきで、
「冗談じゃないよ。みんな必死に探してるよ。君も苦労するよ。頑張れよ。」
と、最後は励まして、行ってしまった。
今、ボストンではどうして住宅不足なんだろう。そんな情報はどこからも入っていない。日本では全く家探しをすることなく、向こうに行けば何とかなると思い込んでいた。出発までにいろいろあって、面倒なことを避けていた面もあったが。
Housing, Residence Lifeに行って、窓口のおばさんに尋ねてみると、今から寮に入るのはやはり無理。建設中の寮があるとのことだったが、入居できるのは当然かなり先で、そんな日までホテル暮らしを続けられるはずもない。だから自分には関係がないということになる。おばさんは、部屋に数台あるPCを指さし、
「あれで検索しなさい。電話番号を書き留めて家主に電話するのよ。」
と教えたくれた。僕は、何もしないうちから疲れてしまっていた。とりあえず5件を選んで電話番号を控えた。
Housing, Residence Lifeを出て公衆電話を探した。見つからない。Commonwealth Avenueの舗道を再び歩き始める。来た道を戻る。George Sherman Unionという建物があった。外からも売店があるのが分かる。学生がどんどん吸い込まれるように入っていく。
「ちょっと休もう」
独り言にしては大きすぎる声が出てしまった。休憩場所くらいあるだろうと思って入って行った。すると、そこは学食だった。日本より遥かに広い。何人くらい座れるのか。一人で勉強している学生、勉強会を開いているgroup、雑談しているcouple・・・。
僕はStarbucksで一番安いCoffee of the Dayを注文した。$1.30。亜希子と大学の近くの喫茶店で話したことを想い出した。彼女は昨年司法試験に合格し、今年の春から司法研修所に所属している。将来は弁護士を目指すらしい。前期修習の後、夏休み明けに地方に行き検察修習が始まると言っていた。今は、彼女とは何のゆかりもない秋田にいるはずだ。
しばらく休憩した後、再び公衆電話を探した。George Sherman Unionから隣のUniversity Information Centerに行く途中に見つかった。 1件ずつ公衆電話から電話した。どこも「空きがない」ということだった。本当かどうか定かではない。
Bostonに来て、実際に何もしていない。hotel はcheck-outして荷物だけを預けたまま。今夜泊まる所さえ決まっていない。住む所より今夜寝る所を探す方が先決だ。僕はapartmentを探す前に今夜から一人で安く泊まれるhotelを「地球の歩き方」で探し始めた。場所も便利な方がいい。apartmentが見つかるまでずっとそのhotelに泊まらないといけなくなれば、大学に近い方がいい。場所がよくても値段が高いのは困る。条件を絞ってMilner Hotelを見つけた。The Colonnade Hotelより遥かに安いから、相当ボロいのだろう。しかし、このhotelのいいところは、朝食が無料だということだ。パンが食べ放題、コーヒーが飲み放題。公衆電話で予約すると、credit cardの番号を訊かれた。財布から取り出し、公衆電話の上において数字を読み上げる。
ようやく今夜寝る場所を確保した。次に、暮らす場所の確保をしなければ。しかしどうすればいいのか。George Sherman Unionに戻って考えることにした。ため息が出た。やっぱり日本で探しておくべきだったんだ。こっちに来れば何とかなるだろうという根拠のない自分の楽観主義に呆れた。
所持金はいくらだろうと思って財布の中身を見た。その時、credit cardがないのに気付いた。頭が真っ白になった。さきほどhotelを予約したときに財布から出したんだ。僕はあわてて荷物を抱えて公衆電話のところまで駆けた。credit cardは見当たらなかった。
僕は立ち尽くしたまま、これから起こるであろう最悪の事態を想像した。まずcard会社に電話してカードを無効にしなければならない。でも連絡先が分からない。僕は無意識にUniversity Information Centerに向かって歩いていた。そこに窓口があり、女性がいた。僕は藁をもすがる思いで、
「公衆電話のところでcredit cardを失いました」
と言った。顔面蒼白だったろう。その女性は、にっこりして
「Yamamoto?」
と僕の姓を言ったように僕には聞こえた。僕は、言葉にならない歓声をあげた。
「届いているわよ」
と言って、彼女はcardを僕に渡してくれた。今日一番嬉しい瞬間だった。一体僕は幸運なのか不運なのか。credit cardを置き去りにしたことは不運というより不注意、はっきり言って馬鹿だ。日本では落とし物をしても戻ってくることが多いが、credit cardはどうだろう。ここは大学内だから戻ってきたのか。たまたまいい人に拾ってもらったという幸福な偶然のお蔭か。
安心を実感した途端、お腹が空いてきた。George Sherman Unionに戻って何か食べよう。しかし僕は何をしているのだろう。
pastaを食べ終わった後、席を立つ元気も出なかった。でも、いつまでもここにいるわけにはいかない。入学手続をしなければ。地図を見てISSOの場所を確認する。ISSOとは、International Students and Scholars Officesのこと。Kenmore駅の近くだ。この大学では外国人留学生のことをinternational studentsと呼んでいる。大学案内にもforeign studentsという言葉は載っていない。foreignという単語には差別的な意味合いがあるからだろう。3万人近くの学生、約3千人の教員・研究者という人の多さとともに国際色豊かというのがこのBUの特徴の一つだ。Cambridgeにある Harvardや MITほどの名声を博してはいないのだが。
ISSOの受付は若い男だった。この大学の学生がアルバイトをしているのだろう。そういうsystemがあることをどこかで聞いたことがある。学生を使えば大学にとって人件費が浮くし、学生も簡単に学資を稼ぐことができる。
手続はすぐ終わった。Reed准教授のofficeへ行くには、今来た道を戻らなければならない。足が重い。それはSchool of Educationの3階にあった。doorが開いているということは自由に入ってよいという意味だと判断して、中に入ることにした。
「Excuse me」
写真の顔が振り向いた。満面の笑顔をたたえて、
「Hiroyukiね。待ってたわよ。でも、遅かったわね。」
僕は意味が分からず、無表情であると、彼女は、
「今朝、orientationがあったのよ。知らなかったの?classmateが集まっていろいろ話したのよ」
その瞬間、僕の記憶が甦った。東京の大学に入ったとき、僕は入学式がいつなのかを知らず、最初の授業の日も把握していなかった。僕が初めて語学の授業に出たときのclassmateの反応が変だった。「誰だ、こいつは?」と言いたそうな空気が流れていた。後で聞いたところによると、4月2日に入学式があり、続いて語学のclassの僕を除く全員が集まって、一人ずつ自己紹介をしたとのこと。僕が「そろそろ大学の授業が始まるのかな」と思って初めて授業に出たときには、他のみんなはもう和気藹々で、賑やかに話していた。
「知りませんでした。」
僕はその一言しか言えなかった。
それからReed准教授は僕がこれから受ける授業の話をしてくれた。
月曜日午後4時から7時まで、Molinsky教授のMethods of TESOL(英語教授法)。
火曜日午前9時半から11時まで、O’conor准教授のIntroduction to Sociolinguistics (社会言語学入門)。
同じく火曜日の午後4時から7時まで、Reed准教授のSecond Language Acquisition(第二言語習得)。
木曜日午前9時半から11時まで、O’conor准教授のIntroduction to Sociolinguistics (社会言語学入門)。
同じく木曜日の午後7時から10時まで、Introduction to Language and Linguistics(言語学入門)。
つまり火曜日と木曜日の午前は本来1回でする授業を2回に分けてする。この4科目を選択したのはReed准教授のadviseに従った結果だ。今まで僕は言語学など勉強したことはないのにかかわらず、そのときは「日本語でも言語学の基本すら学んだことがないのに応用言語学の一つである社会言語学など理解できるのか」という素朴な疑問さえ湧いて来なかった。
Reed准教授の英語は早口にもかかわらず聞き取りやすかった。完全に理解できたとは思わないが、経験からすると8割出来れば支障はない。大事な点を聞き逃さなければいいのではないかと自分に言い聞かせる。
Reed准教授は会話のclosingに入ったので、僕はofficeを出ようとした。そのとき、大柄の女性が入ってきた。
「Hello, Professor Reed.」
「あら、Stephanie。ちょうどよかったわ。classmateの Hiroyukiよ。」
と、Reed准教授は僕を彼女に招待してくれた。長髪、fashion雑誌のmodelのような容姿に緊張した。お互い簡単な自己紹介をした後、僕は彼女の名前を脳に刻み込んだ。彼女は僕が日本人だと知って、
「私はアサヒビールとお寿司が大好きなの」
と言った。その瞬間、授業が楽しみになった。
僕はThe Colonnade Hotelに荷物を取りに行かなければならなかった。こんな高いhotelには1泊しか泊まれない。lobbyでsuitcaseを受け取って、Milner Hotelに行った。交通の便がいいだけで古い汚い建物だった。仕方がない。check inしてしばらくbedで休んでいるうち、少し眠ってしまった。歩き疲れたというよりも、stressとこれから何が起こるかという不安、つまり精神的な疲れが眠気となって襲ってきた。30分くらい寝ただろうか。僕は夕食のため街に出ることにした。restaurantに入ろうかと思ったが、お金の節約のためにconvenience storeでsaladとapple juiceだけを買ってホテルに戻った。食欲はない。
明日の計画を立てることにした。まず、住む所を至急捜さなくてはならない。が、不動産仲介業者の場所も分からない。大学のHousing, Residence Lifeに行って情報収集しよう。最初の授業は9月5日火曜日、Introduction to Sociolinguistics (社会言語学入門)。それまでに予習もしたいが、教科書も買っていない。どこで入手するのか。Reed准教授に尋ねればよかった。
仮眠を取ったためか、シャワーを浴びた後もなかなか眠れず、gateway製のPCで日本から持ってきた “ER”のDVDを見ることにした。深夜、Stephanieの顔を思い浮かべながらようやく眠りに入った。ボストンに来てまだ一日が終わったにすぎない。
深夜、眼が覚めた。体が痒い。明かりを点けてベッドを見ると、赤い点がのそのそ動いている。つぶすと、赤い液体が白いシーツに浸み込んだ。ダニだ。早くここを出なければ。それからなかなか眠れなくなった。明日は一日中僕の苦手な睡眠不足に苦しめられることは確かだった。